今年、愛媛万葉苑開苑50周年周年を迎えるにあたり
2015年㋊10・11日 苑の整備の参考にと
保存会有志8人で奈良春日大社の萬葉植物園と「子規の庭」を訪ねました。
その時の様子が、松山市文化協会情報誌「きらめき」に掲載されました。
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第50回愛媛万葉は、例年通り5月5日に開催いたします。
(詳細は、追ってUP致します)
今年は、第50回記念として、奈良市から、正岡子規研究所主宰・正岡明先生をお迎えし、子規と漱石、奈良市「子規の庭」のことなどお話しいただきます。
(正岡明先生は、正岡子規の妹・律が養子に迎えた母方の従弟・加藤忠三郎の次男。造園家・樹木医)
どうぞお楽しみに。
3月9日(土)
ごせん万葉の会(新潟県五泉市)の皆さん23名が、当苑に来られました。(新潟日報旅行センター主催「須磨明石と日本最古の道後温泉を巡る旅」)
曇り空でまだ寒さが残っておりましたが、漸く春到来の苑内をご案内しました。たわわに実った日本タチバナ、万葉苑自慢のクネンボ、ムラサキ、アカネ、ナンバンキセル、ミツマタなど説明しながら、戦没英霊慰霊のための「郷土植物園」から、明治100年記念の「にぎたつ歌碑」建立そして「万葉植物苑」への由来を説明しました。
当苑自慢の額田王の「にぎたつ歌碑」については、特に重点的に説明させて頂きました。また、苑内に沢山建立されている戦没者等慰霊塔についても案内させて頂き、万葉苑は「鎮魂の杜」となっていることを紹介させて頂きました。
「カタクリ」の栽培に苦労していると話しましたら「新潟には沢山自生している」ことを伺い、大変羨ましく思いました。山部赤人の「伊予の湯に至りて作れる歌」の歌碑のことなど流石「ごせん万葉会」だけあって鋭い質問や提言があり、大変参考になりました。
遠路お越しいただき真に有難うございました。
12月3日(水)
先月に続いて松山北高の清掃奉仕を受けました。
二宮・菊山先生に引率された206組が万葉苑を
山田・中野先生引率の205組が、城北高女殉職学徒追憶碑周辺を担当されました。
苑は今やまさに錦繍に彩られた別世界です。
敷き詰められた紅葉を「掃き捨てる」作業に矛盾を感じるほどです。
使命を終えた葉っぱは、掃くあとから絶え間なく散っております。
静寂の中で「桐一葉落ちて天下の秋を知る」ともいう季節ですが
苑内は落葉で騒々しいくらいの雰囲気です。
追憶碑・慰霊塔周辺を清掃された組には、
護国神社の尾崎篤史主典から戦争犠牲者に因んだお話がありました。
戦後70周年のこの時期に相応しいお話でした。
「我は銃火に未だ死なず」して生き永らえてきた私にとっても心に沁みるお話でした。
いつもの通り松山に縁の万葉歌の解説パンフをお配りしました。
なお、この日、市内で鉄工所を経営されている奥忠夫さんに
焼却炉の整備奉仕をしていただきました。
日ごろからの万葉苑へのご協力に感謝しております。(藤原)
11月7日(土)
松山北高の鎌田先生に引率された家庭クラブ員(80余名)が
奉仕作業に参加されました。
晩秋の万葉苑は埋もれるような落葉。皆さんのお蔭で見る見るうちにきれいになりますが、その間にもひらひらと絶え間なく落葉は続きました。
11月19日(木)
この日は松村・河野先生引率の208組が万葉苑
中川・白石先生引率209組が城北高女殉職学徒慰霊碑周辺清掃を担当。
その間の8日(土)には常連のボランティアの清掃もありましたが、またまた驚くほどの落葉の堆積。誰かに「何日くらいでこれだけ積もったか?」と聞かれ「10日ほど」と答えると驚いていました。
落葉を焚き火ながら焼き芋を焼いたり、その煙が樹間を流れる風情を楽しむ風景などは幼いころの思い出です。 散歩に来られる方の中には「落葉の中を歩く風情も格別」と仰る方もおられますが、落葉の季節は毎年大変でその処理にも苦労しております。
掃く手止め落葉しぐれを仰ぎけれ 稲畑灯子